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千葉地方裁判所 昭和52年(ワ)194号 判決 1983年2月24日

原告 伊藤信枝

<ほか二名>

右原告三名訴訟代理人弁護士 中川賢二

右同 高橋孝信

被告 千葉県

右代表者知事 沼田武

右訴訟代理人弁護士 石川泰三

右同 大矢勝美

右同 岡田暢雄

右同 国生肇

右訴訟復代理人弁護士 成田康彦

右同 秋葉信幸

右指定代理人千葉県事務吏員 佐久間治幸

主文

一、原告らの請求をいずれも棄却する。

二、訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、請求の趣旨

1  被告は原告伊藤信枝に対し金一三〇万円及び内金一〇〇万円に対する昭和四八年九月二二日から、内金三〇万円に対する昭和五二年三月二七日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は原告伊藤栄一及び同伊藤喜代美に対し各金一〇〇万円及びこれに対する昭和四八年九月二二日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行の宣言。

二、答弁

主文同旨。

第二、当事者の主張

一、請求原因

1  訴外伊藤喜三郎(以下単に喜三郎という)は左の交通事故により死亡した。

発生日時 昭和四八年九月二二日午前二時四五分頃

場所 千葉市高根町九六四番八地先国道一二六号線上

被害車 軽乗用自動車・八千え・一五―三八号―運転者喜三郎

加害車 普通乗用自動車(外車)千葉三さ・一〇五号―運転者訴外肥後富士男(以下、単に肥後という)

事故態様 加害者は千葉市中野町方面から千葉市大草町方面へ向って進行し、本件事故現場にさしかかったのであるが、右事故現場付近の道路が加害者の進行方向から見て左カーブかつ下り坂であったので、同車がこのカーブを曲り切れず、センターラインを越えて対向車線内に進入したため、折から対向車線(自己車線)内を進行して来た被害者と正面衝突し、加害車はその前部に被害者の前部をくわえこんだまま進行し、被害者を路外に押し出してやっと停止した。

結果 喜三郎は右大腿骨々折、胸骨々折等の外傷性ショックにより昭和四八年九月二二日午前三時頃本件事故現場で死亡した。

2  本件事故現場は、別紙図面(一)のとおり、千葉市中野町方面から千葉市大草町方面へ通ずる道路上であり、肥後の進行方向から見て左にカーブし、約四・五度の下り坂になっている。道路の幅員は約六メートルであり、追越禁止を示す黄色の中央線が引かれ、喜三郎の進行方向車線の左側にはガードレールが設置されている。肥後は、前記外車(以下肥後車という)を運転して同図面のと進行し、の地点で中央線を完全に越えて対向車線に進入し、前記ガードレールに接触し、あわててハンドルを左に切るとともに、対向車線を進行して来る喜三郎運転の軽車(以下喜三郎車という)を発見し急制動したが間に合わず、同図面の地点で喜三郎車と正面衝突し、肥後車はそのまま喜三郎車をその前部にくわえこんだまま制動を継続し、喜三郎車を押し戻しながら同図面の地点まで進行して停止した。事故直後、事故現場には右の衝突状況を示す次のような数々の痕跡が存在していた。(一)、ガードレールには真新しい擦過痕が認められた。(二)、肥後車の右側面に真新しい擦過痕があり、この擦過痕の位置(高さ)とガードレールの二か所の凹部分に印された擦過痕とのそれは一致していた。(三)、肥後車の右側前部の丸形の黒い部品の中央部分に横方向に茶褐色の物質(ガードレールに付着していた泥と思われる)が付着している擦過痕が認められるが、右の擦過痕はその形状及び泥付着の状況等から、肥後車の前方からつけられたもの、即ちガードレールとの接触によってついたことを示していた。(四)、同図面の地点には喜三郎車の製作会社名を表示する「スズキ」というローマ字の飾りの一部が落ちていた。(五)、同図面の地点には喜三郎車のアンテナ一本およびフロントガラスの破片が飛散していた。(六)、同図面に表示されているとおりの位置、形状においてスリップ痕が一条印されていた。このスリップ痕は肥後車の進行方向から向って左に湾曲し、先に行くほど細くなっており、その幅は普通の乗用車のものよりやや広く、肥後車によって印されたものであることを示していた。(七)、肥後車前部の破損程度はその左側の方が大きく、このことは喜三郎車が衝突直前にハンドルを左に切ったこと、すなわち、喜三郎車は肥後車の左斜前方から肥後車に衝突したことを意味し、当時における肥後の「突然対向進行して来た喜三郎車が中央線を越えて自車前方へガクンと入ってきた。」という弁解が信用できないことを示していた。(八)、喜三郎車は車首を道路に対して斜めにして路外に押し出されて止まっており、喜三郎車の右停止位置、停止角度、停止位置から擦過痕のあったガードレールまでの距離、道路の幅員、肥後車と喜三郎車との重量差から見て衝突地点が同図面の地点であることは容易に推測がつく状態であった。以上のとおりであり、これらの物的証拠を綜合判断すれば、肥後車が対向車線に進入して喜三郎車と衝突したことは明らかに認められるところであった。

3  事故当時、訴外湯浅三郎(以下単に湯浅という)は、千葉県警察本部千葉中央警察署所属の警察官であり、本件事故直後、事故現場に赴いて実況見分をするなど本件交通事故を担当したものであるが、事故現場に存在する前記痕跡を見落し、或いはこれを無視し、加害者である肥後の一方的な弁解だけを取りあげ、事実とは逆に喜三郎車が対向車線に進入して肥後車と衝突したものと断定してその旨の実況見分調書を作成した。

4  事故当時、訴外市原俊男(以下単に市原という)は千葉中央警察署交通第二課長であったが、事故当日現場を見分して不審点を感じた伊藤昭二から事故の再検討を申し立てられてこれを約束しながら、この再検討をすることもなく、湯浅の誤った捜査結果に基いて同日夕刻新聞記者に対し、本件事故の原因を「喜三郎が前車を追い越そうとしてセンターラインを越えたため」と発表したため、翌日の新聞各朝刊にその旨の記事が掲載された。

5  捜査官たる湯浅は、実況見分をするに当っては現場の状況事実を適確に把握するとともに、事件の主体及び客体についての判断を形成するに当っては事実の意味につき十分な検討を加え、総合的かつ客観的に判断をなし、もって事案の真相を究明すべき職務上の義務がある。また、右のような注意義務を尽して適確に認識され形成された事実及び判断を正しく実況見分調書に記載すべき義務がある。ところが湯浅は、本件の捜査に当り、前述のような数々の物的証拠に対し些細な注意を払えば容易に事案の真相を把握できたにもかかわらず、これを怠り、肥後の一方的な説明のみを全面的に信用した過失により、本件事故の原因を誤認し、実況見分調書に虚偽の記載をした。また捜査官たる市原は、新聞による情報伝達は多数の者に迅速にかつその内容が正確なものとして受け入れられるものであるだけに、関係人の人権を不当に侵害しないよう事案の内容をできるだけ正確に発表するよう注意を払うべき職務上の義務がある。特に本件においては、喜三郎が死亡しており何ら反論する機会もなく、また市原は喜三郎の兄から事前に再見分の要請を受け、再検討を約束しているのである。また捜査関係者としては、捜査の始動段階においては、一般に事件の実体形成がいまだ可変的であることにも留意すべきである。このような事情が認められる本件においては、他の事案における場合よりも一層の配慮をなすべき義務があり、どうしても新聞発表をする必要があるのなら、事故原因にはふれず、客観的な事故発生の事実のみを発表することで事足りたはずである。しかるに市原は、右のような義務を怠り、湯浅の誤った捜査結果を再検討もせずに前記のように本件事故原因を喜三郎の追い越しと断定して新聞発表をなした。湯浅及び市原の右各行為は被告任用の公権力の行使に当る公務員がその職務を行うについて故意又は過失によりなした違法なものであり、被告は国家賠償法一条により右違法行為によって原告らが被った損害を賠償する責任がある。

6  原告伊藤信枝は喜三郎の妻であり、原告伊藤栄一、同伊藤喜代美は喜三郎の子である。喜三郎は勤務先から毎年のように無事故で表彰されていた優良かつ慎重な自動車運転者であり、原告らは喜三郎の言動を信じ切っていた。ところが、前述のような湯浅並びに市原の誤った捜査結果及び新聞発表により、喜三郎並びにその家族としての名誉を著しく害されるとともに、喜三郎の潔白を信じながらも、これを世人に納得させる手段はなく、世間から冷い目で見られ、また被害者として当然支払いを受けられるはずの自賠責保険金が警察の誤認捜査のため支払を担否されて訴の提起を余儀なくされるなど多大の精神的苦痛を被った。右の精神的苦痛に対する慰藉料として原告各自について各一〇〇万円を下らない。原告らは被告に対し昭和五一年九月一六日到達の内容証明郵便を以て本件不法行為による損害賠償の請求をしたが、被告はこれに応じず、やむを得ず、本訴の提起を弁護士である本件訴訟代理人に委任し、原告信枝において手数料として三〇万円、報酬として四〇万円を支払うことを約した。

7  よって被告に対し、原告信枝においては慰藉料一〇〇万円、弁護士費用の内金三〇万円の合計一三〇万円並びに右一〇〇万円に対しては前記新聞発表がなされた日である昭和四八年九月二二日から、三〇万円に対しては訴状送達の日の翌日である昭和五二年三月二七日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の、原告栄一及び同喜代美においては慰藉料各一〇〇万円並びにこれに対する前同様の日である昭和四八年九月二二日から支払済に至るまで前同様年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二、答弁

1  請求原因のうち、原告主張の日時場所において喜三郎運転の乗用車と肥後運転の乗用車とが衝突し、喜三郎が即時死亡したこと、事故当時湯浅並びに市原が千葉県警察本部千葉中央警察署所属の警察官であり、湯浅が右の衝突事故の捜査を担当して実況見分調書を作成し、市原が右衝突事故について新聞発表し、それが新聞に掲載されたこと、原告主張の内容証明郵便が被告に到達したことは認めるが、その余の事実は全部不知又は否認する。

2  本件事故は、肥後車が自己の車線を守って走行していたところ、現場付近において喜三郎車が突然センターラインを越えて対向車線(肥後車の車線)に進入して来たため、肥後車線上において衝突し、その衝突の勢いで両車両がかみ合ったまま最終停止位置まで滑走して止ったのである。事故直前に肥後車が喜三郎車の車線左側にあるガードレールに衝突したことはない。右のガードレールにおける原告ら主張の擦過痕は、本件衝突事故後に肥後車と同一車線を進行して来て、本件事故によって停止していた肥後車に衝突した訴外青柳寛運転の普通乗用自動車(以下単に青柳車という)が右衝突の直前にガードレールに接触してつけたものである。湯浅は、本件事故直後、実況見分を実施し、(一)、肥後車線上に多く喜三郎車のフロントガラスの破片が散乱し、また同車線上に喜三郎車の左バックミラーが落ちていた事実、(二)、肥後車及び喜三郎車が甲第一号証の四の現場見取図記載の位置に停止していた事実、(三)、喜三郎車及び肥後車の各々の停止位置と関連可能性のある各車両のスリップ痕が存在しなかったこと、(四)、肥後車の右側面に擦過痕が、右ドアー後方に凹損が存在し、喜三郎車の走行車線左側のガードレールに凹損が存在していたが、現場において青柳から青柳運転車両が右ガードレールに衝突したうえ肥後車に衝突したことを聴取確認したことから、本件事故発生の態様は喜三郎車と肥後車が肥後車線上で衝突したものと判断した。湯浅の右判断形成は合理的な経験則に基くものであり、湯浅に過失は存在しない。また湯浅は現場の状況を適確に把握し、これを忠実に実況見分調書に記載したものであり、客観的な現場状況と異なる記載をしたことはなく、この点に関し、何らの過失もない。本件事故当日、千葉中央警察署交通課長であった市原は新聞記者からの照会に対し本件事故発生の事実を回答したが、その際、誤った事実を発表したことはない。衝突に至る過程に関する細部の事実について、追越のためにセンターラインをオーバーしたのか、或いは突然センターラインを越えて対向車線に進入したかの相違があるとしても、右の相違は交通事故当事者の過失の有無について本質的な事実ではなく、右のように事実発生原因に関する軽微な事実を誤って発表しても、それによって原告らに損害が生ずることはない。また右の発表は、新聞記事にある「千葉中央署の調べでは、伊藤さんが前の車を追い越そうとセンターラインを越えたためらしい」とのとおり、捜査の始動段階において事件の実体形成が可変的であることを考慮して、断定的な発表を避けている。仮に右の発表が事故の客観的態様と異っていたとしても、発表者に過失はない。刑事事件の発生及びその内容の如何は公共の利害に関することがらであり、関係警察官が報道関係者に事件の発表を行うことは、もっぱら公益を図る目的に出たものと認めるべきであり、その際発表者においてその事実を真実であると信ずるについて相当の理由がある場合には名誉毀損につき過失の責を免れるべきところ、本件においては前記(一)ないし(五)記載の事実の存在及び肥後と青柳の供述結果を総合して肥後車線上で衝突が起きたと判断し、その結果発表がなされたのであり、発表者にはその事実を真実であると信ずるについて相当の理由がある。

第三、証拠《省略》

理由

一、昭和四八年九月二二日午前二時四五分頃千葉市高根町九六四番八地先国道一二六号線上において喜三郎運転の軽乗用自動車と肥後運転の普通乗用自動車が衝突し、喜三郎が即時死亡したこと、事故当時湯浅並びに市原が千葉県警察本部千葉中央警察署所属の警察官であり、湯浅が本件事故の担当捜査官として事故現場を実況見分のうえ実況見分調書を作成し、市原が本件事故について新聞発表をなし、それが新聞に掲載されたことは当事者間に争いがない。

二、原告らは、被告任用の公務員である湯浅並びに市原の故意又は過失による客観的事実に反する実況見分調書の作成を含む一連の誤った捜査結果並びにその捜査結果に基づく誤った新聞発表によって喜三郎の遺族である原告らは多大の精神的損害を被ったと主張するので、この点について判断する。

1  前記争いがない事実に《証拠省略》を綜合すれば、次のとおり認めることができる。

(一)  昭和四八年九月二二日午前二時四五分頃千葉市高根町九六四番八付近の国道一二六号線上で同市中野町方面から同市大草町方面へ進行中の肥後運転のビュイク自家用普通乗用自動車(肥後車)と反対方向に進行中の喜三郎運転のスズキフロンテ三六〇軽乗用自動車(喜三郎車)とが衝突するという事故(本件事故)が発生した。事故現場は、肥後の進行方向へ勾配約四・五度の下り坂をなし、かつ曲線半径約一五〇メートルで左方にカーブした道路が直線に入った付近であり、アスファルト舗装されており、幅員は約六メートル、本件事故当時は降雨のため、路面は湿潤し、スリップしやすい状態にあり、また事故現場付近には右と同一方向の道路右端にガードレールが設置されていた。本件事故発生後、肥後は自力で自車を脱出し、付近を通りかかった車の運転者に警察への連絡と救急車の手配を頼み、まもなくかけつけた救急車の者と一緒に対向衝突車の乗用者である喜三郎ほか一名の救出に当り、同人らが救急車で運ばれた後は後記の位置に停止していた自車(肥後車)の側で交通整理に当っていたが、本件事故の二〇分ないし三〇分後に、同市中野方面から同市大草方面に進行して来た青柳寛運転の普通乗用自動車(青柳車)が直前に停止していた肥後車を発見して急制動の措置を採ったため、スリップして走行の自由を失い、その車体を前記ガードレールに衝突させた上、そこから反転して肥後車に衝突するという第二の事故が発生した。

(二)  本件事故当時湯浅は、千葉県警察本部千葉中央警察署交通課に所属する警察官であったが、本件事故発生の連絡を受け、ほか一名の警察官とともに事故現場に急行し、午前三時一〇分頃現場に到着した。右到着時においては既に前記第二事故が発生した後であり、別紙図面(二)のほぼの地点に前部を大破した喜三郎車が、ほぼの地点に後記のような損傷がある肥後車が、ほぼの地点に右前後部フェンダー凹損、左後側面凹損がある青柳車が停止していた。湯浅が肥後から事情聴取したところ、肥後は、「千葉市中野町方面から大草町方面に向かって、進行して来ると、対向して、進行して来た軽四輪乗用車が急に直前から対向車線に入って来たので、急ブレーキを踏んだが間にあわず、別紙図面(二)の地点付近で衝突し、相手車の前部と自己車の前部がかみ合ったまま相手車を押し戻しながら停止した。その後これを引き離し、ほぼの地点に相手車を、ほぼの地点に自車を止めた。」旨の指示説明をなしたので、これに基いて現場を見分したところ、喜三郎車のフロントガラスの破片が同図面の点をほぼ中心として肥後車の走行すべき車線上に多く散乱し、同車線上の地点に喜三郎車の左バックミラーが落ちており、また当時は降雨のため、これらの車両と関連性があると思われるスリップ痕も存在しなかったので、湯浅は、各車両の停止位置、肥後の指示説明、喜三郎車のフロントガラス散乱の状況、左バックミラーが落ちていた位置等の状況を総合判断して、衝突点は肥後の走行車線内である同図面の点付近であるとの一応の心証を持ったものの、喜三郎の走行すべき車線側の前記ガードレールに長さ約四・五メートルの凹損が存し、同位置のガードレールの地上約七〇センチメートルの高さにあるふくらみ部分に幅約二センチメートルから四センチメートルの擦過痕が、地上約五〇センチメートルの高さにあるふくらみ部分に幅約四センチメートルから約七センチメートルの擦過痕が存在することが認められ、また肥後車の右側面には車体後部から中央ドア付近にかけて地上約六五センチメートルの高さの部位に長さ約一・九六メートル、幅一センチメートルから約五・五センチメートルの擦過痕一条が、同部分の地上約五〇センチメートルの高さの部位に長さ約三五センチメートルの、その下方に長さ約二四センチメートルの「すじ状」の擦過痕二条が、車体前部の地上約六五センチメートルの高さの部位に、長さ約五〇センチメートル、幅約五センチメートルの擦過痕一条が存在することが認められたことから、肥後車がガードレールに衝突したことの疑いも持ったが、事故現場にいた青柳が、「中野町方面から大草町方面に進行し、約三〇メートル手前で停止している車を認め、約二〇メートル手前で車の側に立っている人を認め、急ブレーキをかけてハンドルを右に切ったところ、反対車線側にあるガードレールにぶっつかり、反転して停止車両(肥後車のこと)にぶっつかり、約五メートルほど行って停止した」旨の指示説明をし、現場に停止していた青柳車にも右前後部フェンダー凹損、左後側面凹損が認められたので、これらの状況を綜合し、ガードレール並びに肥後車の前記損傷は青柳運転車両によってつけられたものと一応判断し、この点と前記の各状況を綜合して肥後の説明を一応納得し、その指示説明に添う実況見分調書を作成し、当時上司であった市原に対し、本件事故の発生の事実並びにその原因は喜三郎の追い越しのための対向車線への進入であるらしい旨の報告をした。

(三)  市原は、事故当日、新聞記者からの照会に対し、湯浅の報告に基いて本件事故発生の事実を回答し、これに基いて翌二三日付の朝日新聞、千葉日報の各朝刊に記事が掲載されたが、右記事の関係部分は、朝日新聞においては、「また、午前二時四五分ごろ、千葉市高根町の国道一二六号で、印旛郡四街道町和良比、会社員肥後富士男さん(三一)運転の乗用車と八日市場市ホ、運転手伊藤喜三郎さん(四〇)の軽四輪車が正面衝突、軽四輪車は大破、伊藤さんは全身打撲で即死、伊藤さんの車に乗っていた八日市場市椿、運転手熱田英雄さん(三〇)も足の骨を折って四か月のけがをした。千葉中央署の調べでは、伊藤さんが前の車を追い越そうとセンターラインを越えたためらしい」というものであり、千葉日報においては、「二二日午前二時四五分ごろ、千葉市高根町九六四の八、国道一二六号線で、印旛郡四街道町和良比一一七の一四、会社員、資後富雄さん(三一)運転の乗用車に八日市場市ホの三二八、タクシー運転手、須藤喜三郎さん(四〇)の軽乗用車が正面衝突した。この事故で須藤さんは全身を強く打って即死した。千葉中央署の調べでは、須藤さんは千葉市大草から野呂方面へ進行中、前を走っていた乗用車を追い越そうとして対向車線に出たところ、右カーブのかげから出てきた資後さんの車をさけきれず衝突した」というものである。

以上のとおり認めることができる。

2  《証拠省略》によれば、喜三郎の実兄であり、当時旭警察署の警察官をしていた伊藤昭二は、別件損害賠償請求事件において証人として、「事故直後事故現場を見分したところ、別紙図面(一)のの地点に喜三郎車のアンテナが、の地点に同車の飾りの一部がそれぞれ落ちており、またガードレールの接触痕から大破して停っている喜三郎車に向う線上に同図面の形状のようにカーブしたスリップ痕があった。甲第六号証の六がアンテナの、同号証の七が飾りの、同号証の八がスリップ痕の各写真である。湯浅は実況見分に際し、これらの痕跡を見落したものである」という趣旨の証言をしているが、右伊藤の証言調書及び前記湯浅の証言調書によれば、伊藤昭二は、事故の当日、千葉中央警察署の事件処理に不審があるとして、交通課長である市原に再調査の申入をしていることが認められるが、右再調査の申入においては、疑問点としてガードレールの接触痕だけをあげ、アンテナ、飾りの落下地点及びスリップ痕の存在についてはこれを指摘した形跡が認められないこと、同人がスリップ痕の写真であるとして示している甲第六号証の八に見えるスリップ痕らしきものも同人の証言するようにガードレールの接触痕から大破して停っている喜三郎車に向う線上にカーブしているものとは見えないこと等からすれば、伊藤昭二の右証言内容は信用することができない。他に前記認定に反する証拠はない。

3  右認定の事実によれば、本件事故直後、事故現場に急行した湯浅が、肥後車、喜三郎車、青柳車の停止位置、喜三郎車のフロントガラス破片散乱の状況、喜三郎車左バックミラーの落下位置、肥後の指示説明、ガードレールの破損、肥後車の破損、青柳車の破損状況と青柳の指示説明を綜合的に判断して、本件事故の原因は喜三郎車の対向車線進入にあるとする一応の心証を形成し、その立場による実況見分調書を作成したことは無理からぬものと考えられ、この点について湯浅の過失を認めるには足りず、また市原が、湯浅の右見分結果をふまえ、報道機関に対し前記新聞記事の内容となる程度の発表をしたことは、交通事故発生の事実及びその原因は社会公共の利害に関するものとして、許さるべきものと考えられるから、これをもって違法なものということはできない。この点に関する原告らの主張は理由がない。

三、以上のとおり、被告任用の公務員である湯浅及び市原の本件事故に関する実況見分調書の作成を含む一連の捜査経過並びにそれに基く新聞発表が違法なものとは認められないので、これが違法であることを前提とする原告らの被告に対する本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。よってこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 青木昌隆)

<以下省略>

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